「空気を読む」
それは、誰にも教わらないまま必修になった科目だった。
不快な言葉を投げられても、
場の空気が凍らないように、とりあえず笑っておく。
保護者の集まりだと、これがさらに加速する。
子どもを人質に取られているような感覚。
なるべく波風を立てないように、
なるべくみんなに合わせる。
それが“大人の対応”だと信じてきた。
でも最近、保護者会に出て思った。
これって本当に「大人」なんだろうか。
その場にいない人を、
あいつはどうだ、あの人はどうだと
偉そうに評価する人。
常に争いや噂話を探している人。
誰かの悪口を言って、いつも怒っている人。
同じ価値観を持つ人同士で、
個人的に話す分には勝手にすればいい。
でも、
同じ熱量で、同じ方向を向いていないと、
途端に「変な人」扱いされる。
あの人は協調性がない」
それが怖くて、
みんな愛想笑いを選ぶ。
いや、きっと見えている。
「今、ここは笑う場面です」っていうカンペ。
そう考えると、
きちんとそれに従って笑う、
かなりの笑顔プロフェッショナル集団だ。
もちろん、私自身が立派な大人じゃないのは重々承知している。
自分の意見をハッキリ言えるタイプでもない。
しかも、私のかなり狭いコミュニティの中では、
こういうことを気にして疑問に思うタイプはどうやら少数派らしい。
「てきとうに流しときなよ」
「長い物には巻かれときなよ」
その通り。きっと正論。だってみんなそうしてるから。
じゃあ、何が正解なんだろう。
長い物には巻かれろ、が大人なのか。
場の空気が一瞬で凍りそうなとき、
とりあえず笑って流すのが正解なのか。
それとも、
空気が少し悪くなるのを覚悟で、
自分の意見をきちんと言うのが大人なのか。
たぶん答えは一つじゃなくて、
場面によって違うし、相手によっても違う。
白か黒かじゃなくて、
その間にグレーが山ほどある。
でも最近、ひとつだけはっきりしてきたことがある。
こんな大人になりたくない
嫌なことを嫌だと思えなくなって、
空気を守るために自分をすり減らして、
家に帰ってからどっと疲れて、
それを「社会ってそんなものだから」で片づけてしまう大人。
そんなことを考えていたら、
私の中にいるリトル春子が、空気を読まずに言った。
「それが、大人になるってこと?」
その問いに、すぐ答えは出ない。
ふと、子どものことを考える。
同じように気を遣いすぎて、
大人になった途端に疲れ切ってしまうような人生、
できればなってほしくない。
でも同時に、
何でも反抗して、
自分の価値観が全部正しい、
周りは全員間違っている、
そんな尖りっぱなしの大人にもなってほしくはない。
今日も答えは出ていない。
きっと明日も迷う。
それでも今は、
全部に笑わなくてもいい日があっていいと思っている。
反論もしない、同意もしない、
ただ静かに距離を取る、という選択肢もある。
反応しない勇気も、
大人になることの一部なんだと、
少しずつ思えるようになってきた。
今日は、無理に笑わず、
話題が流れるのを待つ選択をした。
正解かどうかは分からないけど、
家に帰ってから、少しだけ疲れが少なかった。
春子はHPを減らさないために
『不愛想な顔』 を覚えた。


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